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博多駅 出会い献上〜人と街が、思い出と未来が、もっともっと出会う〜

2011/01/14

遥かな街からのレールが幾本も交わり、そしてまた遥かな街へと延びてゆく。
駅は、公共交通の要としての機能を担うばかりではなく、人と人とが行き交い、出会い、未来を描き、そして思い出が生まれる場所でもあります。
ここを訪れる、何百万人、何千万人という人々の物語のステージとして相応しい新博多駅の壁面デザインを考えたとき、そこに「博多献上」の柄を思い浮かべました。
白磁を思わせるタイルに横一線にのびた白地のストライプをレールに見立て、配された、平穏や幸福を願う「独鈷・花皿・縞」の三つのモチーフ。
これから新博多駅が未来に向かって果す役割を「献上柄」の由来に込め、「博多駅出会い献上」という名とともに、ここから旅立ちます。
九州の各地へ、そして関東・関西へ、全国へ。

「おいしいデザイン展」のご案内

2010/04/03

グラフィック、インテリア、プロダクト、Web、建築家、プランナー、コピーライターなどジャンルを超えた多くのクリエイターが集まり、さまざまなプロジェクトチームとして活動する「darwin」と「デザイン特区」。
「おいしいデザイン」展は、この二つのグループがコラボレーションしたデザインイベントです。

おいしい料理に気のきいたスパイスが欠かせないように、日々の暮らしをより楽しむために欠かせないものが「デザイン」というスパイス。
あなたの「お気に入り」のもの、思い返してみて下さい。
そのかたち、色、におい、手ざわり、そこにはきっと、あなたの心を動かした「デザイン」があるはずです。

今回の「おいしいデザイン」展は、「遊気栽培」をキーワードに、箱の中のアート展、親子で参加できるワークショップ、トークショーの三つの企画で構成されます。
このイベントで日々の生活の中にある「デザイン」を見つめ直していただき、
人とデザイン、社会とデザインの距離が、もっともっと近づいてゆくきっかけになれば
と思います。

どうぞ、「おいしいデザイン」展で、おいしいものを食べたときのあの幸福感のような、
心に満ちてくるデリシャスなデザインの味わいをお楽しみください。

【会期】2010年4月3日(土)〜5月30日(日)
【会場】ギャラリーアートリエ(博多リバレインB2)
【主催】(財)福岡市文化芸術振興財団、福岡市
【企画】ダーウィンLLP、デザイン特区LLP
【協賛】株式会社三松、博多テックスLLP


詳しくは (財)福岡市文化芸術振興財団のWebサイト をご確認ください

「デザインの種」展のご案内

2009/11/20

デザイナー、建築家、プランナー、コピーライターなどジャンルの枠を超えた多種のクリエイターが集まり、さまざまなプロジェクトを展開するクリエイティブユニット「darwin」と「デザイン特区」。
この2つのユニットのコラボレーションによるエキシビションを開催します。残りわずかとなった2009年がチャールズ・ダーウィン生誕200年の年でもあり、かの著作『種の起源』にちなんで、エキシビションのテーマは「デザインの種」。
クリエイターが蒔くさまざまな「種」に、ご期待ください。

■会期

2009年12月4日(金)〜13日(日)


■会場

<< 第1会場 >> galleryLUMO ( 12:00 - 20:00 ※最終日17:00まで )
福岡市中央区警固1-12-5パインテール警固2
Tel.092-215-0115

<< 第2会場 >> VIORO 5F 特設会場 ( 11:00 - 21:00 )
福岡市中央区天神2-10
Tel.092-771-1001


■お問い合わせ

Tel.092-712-7727
(株式会社イメージゲート内担当:後藤)

地図・詳細等の情報はPDFでご確認ください。

PDFを見る

ダーウィン物語−3

2009/02/14

3)そしてダーウィン

1845年12月17日、ルードリッヒ・ライカートはうっそうと茂
るジャングルが切れて、目の前に急に開けた入り江の美しさに目を奪
われたであろう。
現在でもトップエンド(北の果て)と形容され、アジアへ開かれた玄
関口となっている。
オーストラリア連邦ノーザンテリトリー準州の首府ダーウィン市とし
て約11万人の人口を持つ都市となって、観光産業や天然ガス開発、
軍事拠点の街として発展している。
そしてライカートが見たであろうダーウィン湾の先にある海の果て。
東経130度50分のこの街から真北へ経度を辿ってみよう。
Arafura海を過ぎニューギニア島を飛び越え、ミクロネシアを横切るよ
うに太平洋を北上し東シナ海に達すると、我が日本九州に至る。
九州アイランドを鹿児島県、熊本県と縦断した先に福岡に到達する。
このダーウィン市と同じ東経130度50分が福岡と同じ経度だった
というのは、実は後から知ったことだった。
福岡の地でデザインの活動をしている、建築やプロダクツ、インテリ
アやグラフィック、ウエッブなどの色々なデザイン分野の第1線のク
リエーターによるデザインユニット「ダーウィンLLP」を結成した
のは、現代社会のデザイン界の発展を願っての、進化をテーマとした
コラボレーションの必要性を考えたからだった。
それはチャールズ・ダーウィンが「種の起源」において唱えた自然界
の環境に対応する生物の自然選択、いわゆる「進化」にデザイン界の
進路を見いだす研究課題として指針を持つべく「ダーウィン」という
グループ名を命名した。
この符号に力を得るということではないが、チャールズ・ダーウィン
がガラパゴス諸島で発見した生物は、諸島内の小さな島々の単位でさ
えも様々な環境下で変化し、その形状や食性を環境に合わせて変異さ
せていた。
今、我々を取り巻くデザイン界も、社会環境の大きな変革期にある。
とても縦割り的なデザインジャンル1分野のみでは、消費者からのニ
ーズや企業からの要望に対応できないでいる。
逆説的にいうと、社会がデザイン界に「突然変異」を求めているとい
っても過言ではない。
カテゴリーを超えた社会とデザインの関係をもっと追求しよう。
チャールズが22歳でビーグル号に乗り込み果てしない海原に乗り出
したように「スピリッツ」を取り戻そう。
これが我々の「ダーウィン」のテーマなのである。

13名の福岡のクリエーターがこの様な事を論じながら、LLPとい
う有限責任事業組合の設立に向けて会議を重ねていた2006年の6
月22日、チャールズ・ダーウィンがガラパゴス諸島で捕獲、その後
英国へ連れて行かれ飼育されていたガラパゴスゾウガメのメスの「ハ
リエット」が心臓発作で176年の生涯を静かに終えた。

ダーウィン物語−2

2009/02/13

2)もうひとつのダーウィン

オーストラリアの探検史上最大のミステリーといわれている男がいた。
プロシア生まれの異色の探検家ルードウィッヒ・ライカートである。
オーストラリアは1788年に最初の入植者が入っても、1828年
からのインド生まれの英国人チャールズ・スタートによる本格的な内
陸部への探検がなされるまでは、大陸東下部および南側東部の湾岸部
の開拓がされているだけの状態だった。
その頃の主要都市は、シドニーくらいで、1850年になってシドニ
ーがあるニューサウスウエールズ州の南端のポートフィリップ地方が、
時の英国国王ヴィクトリア女王による命名でヴィクトリア州となり、
その州都としてメルボルンができた。その後この州で金鉱が発見され
て以来ゴールドラッシュが起こり、マレー川の河口にアデレートが出
来たり、の様相の段階の国であった。現在ではこの地方で収穫されて
いる葡萄のオーストラリアワインは美食家も納得の質を誇っているの
で諸兄の御存じの地域であろう。
この国の探検史でもっとも有名なのはアラン・ムーアヘッドの著作、
『死のオーストラリア縦断「恐るべき空白」』で記された、1860
年に大陸最南端のメルボルンから北部へ縦断を試みたロバート・オハ
ラ・バーク探検隊である。この本は椎名誠氏が紹介をしたので目にし
た読者もなかにはおられると思う。
しかしこのバーク探検隊の60年代を遡ること16年前の1844年
に、オーストラリア大陸東側のほぼ中央付近に位置するブリズベーン
から大陸北部に向かって挑戦した探検隊があった。ライカート隊であ
る。プロシアは現在のドイツであるが、ベルリンの郊外トレバチで生
まれたルードウィッヒ・ライカートはベルリン大学で科学を学び、英
国、フランスでも教育を受けて1842年に29歳でオーストラリア
に渡った。
その当時大陸のもっとも市民の関心の的は、アジアとの交易上北部の
ポート・エシントンとシドニーを結ぶルート開発であった。その陸路
発見の探検隊として名乗りを上げたのがこの時弱冠31歳のライカー
ト、スポンサーを募り、2名のアポリジニ、1名の黒人コックを含む
10名編成の探検隊がブリズベーンから出発したのは1844年10
月のことである。
大陸分水嶺東を北上し、ケープ・ヨークから西へカーペンタリア湾に
沿って進み、アーネムランドを横断して大陸中央北部最北端のコーバ
ーグ半島を目指した。
実はこのアーネムランドの横断がもっとも難関の地であったのだが、
少し省略させていただいて、1845年12月17日に地元のアポジ
リニに先導されて目的地のポート・エシントンにかろうじて辿り着く
ことができた。
この約5000キロの踏破の距離は日本列島の2.5倍に匹敵する。
この快挙で、帰省後は熱狂的な歓迎を受けたのは云うまでもない。
しかし、「探検家のプリンス」と称えられたも次の探検で6名の隊員
とともに消息不明になり、幾度の捜索隊が調査を行ったが杳とその痕
跡もいまだ発見されていない。
しかし、ライカートが到達したポート・エシントンの湾の周辺は、チ
ャールズ・ダーウィンの帰国後、「ビーグル号」の3回目の大平洋地
域の調査航海のおりにチャールズの友人の船員ジョン・ストークスに
よって発見され、ポート・ダーウィンと名付けられた。
そして、その後時代を経て1911年にチャールズ・ダーウィンに因
んだ「ダーウィン」とこの町は正式に命名された。
これらも新しいことにチャレンジをいとわない若者たちのドラマであ
る。


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